名古屋高等裁判所 昭和30年(う)759号 判決
原判決挙示の証拠によれば、原判決認定の犯罪事実は、十分に認定することができる。即ち原審証人石崎たね子の証言によれば、被告人は、株式会社平和恒産の代表取締役であつて、同会社は、「滝の湯」という名称で湯屋営業をしている石崎義房に貸金債権を有していたが、同人が弁済を遅滞していたので、被告人は、これが請求のため昭和二十九年五月十一日午後五時三十分頃、右浴場に至り、「大泥棒だ」とか「大詐欺師だ」と怒鳴り込んだので、当時義房の実姉石崎たね子が浴場の番台に居て、被告人に対し、「ここは営業場所だから話があるなら奥の家に主人義房が居るから話をして来てくれ」というと、被告人は、「営業妨害は承知の上だ、高利貸には血も涙もない」と言つて、番台に飛び上つて来て、番台の上に置いてあつた釣銭用の小銭を寄せ集めようとしたので、石崎たね子がそれを制止しようとしたところ、同女を番台から突き落したのであつて、このような騒ぎが一時間以上も継続し、そのため、浴場としては、一日の中で、一番お客の多い時に野次馬も集り騒ぎが起り、混乱に陥り、浴場の収入が平常に比し著しく少かつたことが認められ、原審証人島田秀男、同疋田末造の各証言によれば、被告人が番台に上つて、わめき散らすので、浴場の出入口附近は野次馬が集り、混乱し、入浴に来た人の中でも入浴しないで帰る人もあつたことが認められる。
右のように被告人は、債務者ではなく、債務者の姉が被用者の立場で番台にいたとき、同女に対し、一時間余も怒鳴り散らして、債務の履行を請求し、そのため、浴場の出入口附近が混乱に陥つたことは明らかであつて、通り掛つた司法巡査がこれを目撃し、被告人を逮捕しなかつた事実をとらえて、右混乱の事実を否定し去ることはできない。司法巡査は、民事上の争いから起きた事件であるため、慎重を期する趣旨から本署に報告に行き、現行犯として逮捕しなかつたことが原審証人疋田末造の証言で窺うことができる。
以上の通りで、原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認はなく、論旨は、理由がない。
第一点の論旨について、
債権者が債務者の住所又は営業所に至り、債務の履行を請求し得ることは当然のことで、かかる行為が罪とならないことは明らかである。従つて債務の履行を請求するに当つて、その交渉のため多少の時間を要し、そのため、債務者の仕事が妨げられたり、営業が一時的に停滞しても、債権者の行為は、正当業務の範囲内の行為として違法性を欠くものと解すべきである。然れども法治国においては、債権者の自力救済行為は、認められないところであつて、債務の履行の請求であつても、奪取的行為又は債務者又はその一族郎党に対し、債権者の権利行使としては妥当としない暴行脅迫を示すとか等の行為に出ずるときは、刑法所定の犯罪となることは明らかである。本件においては、前記説明の通り、被告人は、浴場としては、一日の中最も混雑している午後五時半頃、債務者の居宅を訪問せずに、営業所である浴場に至り、債務者でない債務者の実姉石崎たね子に対し、暴言を吐き、番台を一時間余に亘り占拠し、浴場を混乱に陥し入れたのであるから、債務者に対する適法な請求行為と認むることはできない。かかる被告人の行為は、正当視せられる債権者としての行為を逸脱したものと謂うことができる。右の被告人の行為は、威力に該当し而して浴場の営業を妨害したのであるから、刑法第二百三十四条の罪に当るものと解すべきである。これと同趣旨の見解に出でた原判決は正当であつて、原判決には、罪とならない事実を有罪とした違法はなく、論旨は、理由がない。
(裁判長判事 赤間鎮雄 判事 高橋嘉平 判事 柳沢節夫)